樋口郁恵 of MCMオフィシャルサイト

_DSC3472_591.jpg樋口郁恵(ひぐちいくえ)
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出身:岡山県   生年月日:9月12日   血液型:A型   
趣味:お茶しながらゆっくりすること
好きなアーティスト:B'z


赤澤郁恵です。
私は岡山県で生まれ、ごく普通の田舎で育ちました。みんなと違うなと思った事は、両親が共働きだったため、日中はずっと祖父母と一緒で、幼稚園の登下校や参観日など、母親が来れない時が多く、いつも祖母が来てくれていました。祖父母は私にとって父親、母親と同様で私には「お母さん」「お父さん」が2人いたという事でした。幼い頃の記憶の中でよく覚えているのは、幼い私を寝かせる時、祖母の背中でいつも聞いていた子守唄。手を繋いで買い物に行く度、一緒に歌った童話の歌。祖母が言った言葉は「歌を歌ったら元気になるけんな~」(岡山弁)「遠い所でも歌っとったらすぐじゃあ」(岡山弁)でした。幼い頃は、母親とも良く歌を歌っていたことを思い出します。
小学校に入ってからは、あまり歌を歌うことがなくなり、代わりに習い事が増えていきました。ピアノ、習字、珠算、水彩画、油絵、水泳など。その中で最も練習が必要だったのがピアノでした。練習しないとよく祖母に怒られたものです。そして中学入学と同時に習い事はピアノだけになり、バドミントンに面白いさを感じ打ち込むようになりました。県大会や中国大会に出られた事は今でも楽しかった思い出の1つです。
そして高校に入り、そろそろ将来を考え大学進学をと考えた時、自分は何になりたいのか…何がしたいのか…と思いました。母親が幼稚園教諭だったこともあり、ピアノを弾いて、好きだった歌も歌えるし、興味のあった教育にもたずさわれるし、幼稚園教諭なら母親も見てるし、手伝った事もある。浅はかにも、そんな理由で幼児教育を探すことにしました。そして岡山県を出てみたかったこともあり、神戸の大学で児童教育というかなり児童の教育を専門に力を入れている大学を受ける事にしました。受験には3教科筆記とピアノ実技と歌実技と面接があり、ピアノはレベルの高いソナタからの曲でしたが、幼い頃から習っていたピアノが役に立ちそうだと思っていました。受験を決めてからピアノレッスンに毎日通い、高校の音楽の先生に協力を仰いで個人練習もほぼ毎日してもらいました。
幼い頃からのピアノは役には立ったのですが、そんな浅はかな動機で、そんなちゃんとした大学に受かるはずもなく、見事に失敗。今となれば当たり前ですが、当時は妙に挫折感を勝手に感じていました。それからピアノにも近寄ろうとしなくなり、歌も歌わなくなり、幼児教育という言葉も頭から消して見なくしてしまいました。
結局地元の短大に受かり、そこに通うことで自分を納得させました。その短大では、就職した時に役立つような授業が多く、秘書検定の資格や法律、英語、フランス語などでした。
短大卒業後、地方銀行に就職するも、普通の生活、同じ日々、同じ風景…何かが違う。私自身、その生活に納得がいかず、何か違う事がしたい。もっと面白いことがしたい、もっと人生を深く生きていきたいと思うようになりました。そして、銀行を辞め、県庁やら宝石屋やら、ブライダルコーディネーターやら、いろいろやってみたものの、どれもピンとくるものもなく、ただ普通に時間が過ぎていくばかりでした。そんな時、妹の紹介でボイストレーナーの渡邊千恵先生に出会いました。これが私の人生を大きく変えた出来事になりました。東京に上京して、ボイトレに通い始めて、早…年。渡邊先生に本格的にご指導頂き、歌う事を閉ざしていたのに、歌う事で徐々に本当の自分を取り戻せたように思います。歌う事に向き合うと、自分自身と向き合っているようです。技術的な事は勿論ですが、歌はメンタル面に非常にリンクしています。歌を本格的に習えば習うほど、今まで疑問に思っていた事の答えが見つかり、納得出来る人生になってきました。やっと面白く、人生を深く生きることが出来
ています。歌を通して見つけましたが、それは、本当は自分自身知っていたけど、嫌だから見なくしていたり、ごまかしたりして来た事で、本当の自分と向き合っていれば気付くことだったのかもしれません。私は歌を歌う事で、本当の自分が明確になり、確信に触れることが出来ました。幼い頃、祖母と歌っていた歌は正しかったのだと思います。
「歌う」という事を具体的に考えるようになってから、自分の道も具体的に考えるようになりました。自分自身の人生、そこには「歌う」ということが入っていました。歌いながら人生を歩み、人生を歩みながら歌う。そんな素敵で楽しい人生を私は選択したいと思います。今後も、技術的にも向上させて、人生 イコール 歌にしていけるように日々努力していこうと思っています。

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